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尾形光琳の生い立ちⅡ [芸術]

雁金屋は、祖父・宗柏と伯父・宗甫、父・宗謙の間に京都で

有数の呉服商として発展していました。

光琳は、呉服商・雁金屋をいとなみ文芸分野に関心の深かった父・宗謙の薫陶を受け、

15歳で「装束付百二十番」を、19歳で「諸能仕様覚書」を伝授されたり、

絵画を習うなど、家業の呉服商・染め物などの技術を習得しながら

芸術的感性を磨いておりました。

また当時の上層町衆の常として、能や謡にも親しみがあったと思われます。

 これらなどから、光琳も光悦と同じく、

いわゆる「調子」を身につけていったものと思われます。

光琳は、当時の京都の豪商としての雁金屋の関係から公家や上級武士、上層町衆など、

上流階級とのつながりがみられます。

京都では二条綱平や中村内蔵助とのつながりがあり、

江戸では酒井家や冬木家との関係がありました。

また、息子・寿市郎を養子に出した小西彦九郎(京都銀座役人)との関係も認められます。

光琳の資料として第一級の価値のある『小西家文書』は、この小西家に伝わったものであり、

光琳直筆の文書資料です。
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