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尾形光琳の生い立ち [芸術]

次に、光悦よりも100年後に生誕した、

琳派の名の元ともなった尾形光琳について書いてみましょう。

作品に移るまえに、彼の生い立ちから書いてみます。

尾形光琳は、万治元年(1658年)に京都の呉服商・雁金屋の息子として生まれました。

尾形家は浅井家の家臣であったことは『本阿弥行状記』にも認められます。

『本阿弥行状記』では、尾形家の祖先は浅井家の家来であり、

光琳の曽祖父・道柏の息子・宗柏(新三郎)は浅井長政の娘・小督が徳川秀忠に嫁いだ時に、

衆楽第から伏見へお供しています。

それ以降、尾形家は豊臣家(淀君は浅井長政の娘、小督の姉)、

徳川家、また東福門院など禁裡・公家への呉服御用をつかさどるようになり、

宗柏の時代には雁金屋として京都で相当に著名な呉服屋となっていたようです。

『本阿弥行状記』に記きれている以前は、

源平の戦いで名を馳せた豊後の緒方三郎惟義を遠祖にもつといわれ、

光琳の曽祖父・道柏の父・伊春が緒方村から出て足利義昭に仕えたといわれています。

豊後の出身という点では、光悦の父・光二が、

豊後守の次男の家(片岡家)から本阿弥家に養子になったこと、

光悦が片岡家から光嗟を養子に迎えたこととあわせて興味深い関係も見られます。

尾形家と本阿弥家の関係を見てみますと、

曽祖父・道柏が本阿弥光悦の姉・法秀と結婚しており、

祖父・宗柏も光悦との親交が深く、鷹が峰の光悦村に家を持ってもいたことがわかっております。

『光流四墨』には光悦とともに宗柏も筆をとっています。


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