中宮寺の弥勒菩薩 [芸術]
法隆寺の横に中宮寺がありますが、
ここにも飛鳥時代の仏像が安置されています。
お香のために現在では真っ黒になっていますが、
ここの弥勒菩薩は顔が大きく、面長であり、板耳で手足が大きくて、
飛鳥仏の特徴をよく現わしています。
そのお姿はやざしく美人型です。
特に、顔、手と足を強調し、他の所を簡素化しています。
これは朝鮮半島での弥勒菩薩の在り方で、朝鮮系と考えられますが、
上半身は裸ですので、南方系のものが朝鮮半島を通って、
きたのかも知れません。
頭には双鬢があり、これは金堂の天蓋天人像にもありましたが、
垂髪が美しく垂れており、彫刻的にも非常に素晴らしいものです。
一般的に人問が話したり、説得したりするは、
目と手が主な働きをするため、
顔、手や足がよく目に入るように、身体は異常に細く、
顔と手だけが目立つように、
が実に繊細に彫りこんであります。
顔、目や手のおき方が非常に情緒的で、
全体の雰囲気から非常に慈悲深いブッタの世界を象徴しています。
この仏像とロダンの「考える人」とは全然趣が違います。
ロダンの「考える人」は、ただ考えているだけで、
目的がないようにみえますが、
この仏像の思いは世を救う為に仏が思いをこめている=思惟であり、
精神的な意味を持っています。
そういう意味からも、精神的に素晴しい表現力をもつ
日本的な仏像であるといえます。
人間はその人の目を見れば、高貴な人か尊敬できる人か、
気品の高い人かどうかということが分りますが。
この仏像は目を開いておりません。
しかし、その目が見えなくても、
思わず拝みたくなるような慈悲深い雰囲気があり、
この雰囲気だけで人格がとても高い事が分ります。
この仏像を作った作者の心が高いことを物語っており、
拝者の心にそうした雰囲気を感じさせる仏像です。
つまり飛鳥時代の作者はそれほどまでに高い心を持ち、
豊かな想像力や鋭い思考力を持っていたことが分かります。
ここにも飛鳥時代の仏像が安置されています。
お香のために現在では真っ黒になっていますが、
ここの弥勒菩薩は顔が大きく、面長であり、板耳で手足が大きくて、
飛鳥仏の特徴をよく現わしています。
そのお姿はやざしく美人型です。
特に、顔、手と足を強調し、他の所を簡素化しています。
これは朝鮮半島での弥勒菩薩の在り方で、朝鮮系と考えられますが、
上半身は裸ですので、南方系のものが朝鮮半島を通って、
きたのかも知れません。
頭には双鬢があり、これは金堂の天蓋天人像にもありましたが、
垂髪が美しく垂れており、彫刻的にも非常に素晴らしいものです。
一般的に人問が話したり、説得したりするは、
目と手が主な働きをするため、
顔、手や足がよく目に入るように、身体は異常に細く、
顔と手だけが目立つように、
が実に繊細に彫りこんであります。
顔、目や手のおき方が非常に情緒的で、
全体の雰囲気から非常に慈悲深いブッタの世界を象徴しています。
この仏像とロダンの「考える人」とは全然趣が違います。
ロダンの「考える人」は、ただ考えているだけで、
目的がないようにみえますが、
この仏像の思いは世を救う為に仏が思いをこめている=思惟であり、
精神的な意味を持っています。
そういう意味からも、精神的に素晴しい表現力をもつ
日本的な仏像であるといえます。
人間はその人の目を見れば、高貴な人か尊敬できる人か、
気品の高い人かどうかということが分りますが。
この仏像は目を開いておりません。
しかし、その目が見えなくても、
思わず拝みたくなるような慈悲深い雰囲気があり、
この雰囲気だけで人格がとても高い事が分ります。
この仏像を作った作者の心が高いことを物語っており、
拝者の心にそうした雰囲気を感じさせる仏像です。
つまり飛鳥時代の作者はそれほどまでに高い心を持ち、
豊かな想像力や鋭い思考力を持っていたことが分かります。
コメント 0