法隆寺におけるその他の工芸品 [芸術]
橘夫人厨子
先日の奈良博物館で開かれた白鳳展にも出ていた橘夫人厨子は
法隆寺の宝物館にあります。
玉虫厨子が飛鳥時代のもので厨子全体のバランスがいいのに対し、
この厨子は天平時代のもので、仏像が主体となった為、上の厨子が大きく、
下は小さく、全体のバランスはよくありません。
しかし、仏像は美しく、仏像のうしろに六曲屏風形のバックと
そこに描かれている天女と蓮、及び仏像の下の蓮の池がとてもきれいで、
素晴しい装飾性を持っています。
白鳳展では逗子と仏像、蓮の池がバラバラに展示されて、
見やすかったですが、法隆寺では、背の低いひとは背伸びしないと、
蓮の池は見えにくくなっています。
褪紅(たいこう)錦
これは褪の国(A.D.221~263)で出来た美しい織物です。
赤色があざやかできれいで、1200~1300年前のものですが、
色が大変よく残っています。
日本にはそれまでこれほど色彩的なものはなく、これ以後日本に広まりました。
この色の感覚が、本来中国のものですが、日本に伝統的に伝わっています。
そして、秦河勝を長とする秦一族が京都で広め、後の西陣織となりました。
河勝の菩提寺が京都の広隆寺となっております。
先日の奈良博物館で開かれた白鳳展にも出ていた橘夫人厨子は
法隆寺の宝物館にあります。
玉虫厨子が飛鳥時代のもので厨子全体のバランスがいいのに対し、
この厨子は天平時代のもので、仏像が主体となった為、上の厨子が大きく、
下は小さく、全体のバランスはよくありません。
しかし、仏像は美しく、仏像のうしろに六曲屏風形のバックと
そこに描かれている天女と蓮、及び仏像の下の蓮の池がとてもきれいで、
素晴しい装飾性を持っています。
白鳳展では逗子と仏像、蓮の池がバラバラに展示されて、
見やすかったですが、法隆寺では、背の低いひとは背伸びしないと、
蓮の池は見えにくくなっています。
褪紅(たいこう)錦
これは褪の国(A.D.221~263)で出来た美しい織物です。
赤色があざやかできれいで、1200~1300年前のものですが、
色が大変よく残っています。
日本にはそれまでこれほど色彩的なものはなく、これ以後日本に広まりました。
この色の感覚が、本来中国のものですが、日本に伝統的に伝わっています。
そして、秦河勝を長とする秦一族が京都で広め、後の西陣織となりました。
河勝の菩提寺が京都の広隆寺となっております。
2015-12-19 00:50
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