夢殿の救世観音 [芸術]
法隆寺には聖徳太子を供養する堂として、およそ100年後に藤原氏によって建立された夢度がありますが、
その中にずっと秘仏とされていた救世観音が安置されています。
明治時代に夢殿をあけるように、アメリカの東洋美術史家、哲学者のフェノロサが国に交渉し、その中にあった布をとるとまばゆいばかりの姿を現わしました。
現存する仏像では最も品格が高く非常に高貴な仏像で、
きれいというよりも神経が研ぎすまされた非常に素晴らしい仏像です。
顔、手、足が大きく、釈迦三尊の本尊より一層強くきびしい顔で、目は杏仁形です。
秘仏で布で巻かれていたので、保存状態が非常によく、実に細部まで神経が行き届いてつくられているのが分ります。
垂髪がピュンと躍り、衣文も左右対称となっていることから神経が研ぎすまざれた事を誇張しています。
10月22日~1122日まで夢殿が開扉されておりましたが、今は見ることができません。
厨子の開く方向で午後からは見にくく、晴れていないと光線が入らないので、
晴れた日の午前中に双限鏡でわずかに見れることができます。
その中にずっと秘仏とされていた救世観音が安置されています。
明治時代に夢殿をあけるように、アメリカの東洋美術史家、哲学者のフェノロサが国に交渉し、その中にあった布をとるとまばゆいばかりの姿を現わしました。
現存する仏像では最も品格が高く非常に高貴な仏像で、
きれいというよりも神経が研ぎすまされた非常に素晴らしい仏像です。
顔、手、足が大きく、釈迦三尊の本尊より一層強くきびしい顔で、目は杏仁形です。
秘仏で布で巻かれていたので、保存状態が非常によく、実に細部まで神経が行き届いてつくられているのが分ります。
垂髪がピュンと躍り、衣文も左右対称となっていることから神経が研ぎすまざれた事を誇張しています。
10月22日~1122日まで夢殿が開扉されておりましたが、今は見ることができません。
厨子の開く方向で午後からは見にくく、晴れていないと光線が入らないので、
晴れた日の午前中に双限鏡でわずかに見れることができます。
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