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本阿弥光悦Ⅳ [芸術]

本阿弥光悦も4回目となりました。

ここでは書以外の作品について解説してみましょう

木阿弥光悦の絵画・蒔絵、その他の芸術

 まず、書の下絵の特徴を見てみますと、『職人歌合 鍛冶番匠』の下絵の菊の図はすばらしいものです。

この菊は、黒く見えますが、銀が酸化して黒くなったものです。

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また、光悦最晩年の『和歌巻断簡』(稲葉家旧臘)の下絵には、あるかないか分からない程度の「すすき」が描かれています。

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光悦の絵の変化をこれらにも見ることができます。

つまり、光悦の初期の下絵は、枠の中に一杯描かれてあるのですが、この下絵が後期になるにしたがって、小さく薄くなっていきます。

光悦の蒔絵を見てみますと、『春日山螺鈿蒔絵手箱』の斬新なデザインはすばらしいものですが、

この中で、土披と木を区切る細い線は特に気をつけて見ておかなければならないところです。

この細い線によって、絵全体が引締められております。

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光悦の茶碗の例として、『不二山』(酒井家所蔵)を上げることができます。

この茶碗は、光悦の特徴である「けしき」の良さが素晴らしくでています。

一説には、この『不二山』の茶碗を光悦が娘の嫁入り道具の代わりにしたと言われています。

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光悦村には本阿弥一族や芸術家、豪商・茶屋四郎次郎などのほか、光悦の芸術をきざえた職人も居を構えていました。

まず『憎蒼蝿賦巻』の裏に雲母印のある「紙師宗二」は光悦に独特の雲母引の紙を提供していた紙師であり、

光悦村に間口15間の居をえていました。

その他、染物をしていたと思われる「秋ば」姓の家や、漆芸をしていたと思われる「土田」姓の家、

「筆や」という姓の家など、多くの技術者が光悦村に住んでいたと思われます。
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